自分自身につけた傷、そして自分自身にかけた呪いを解いていく方法【神野藍】
神野藍「 私 を ほ ど く 」 〜 AV女優「渡辺まお」回顧録 〜連載第48回
【自分が揺らいでしまいそうな瞬間】
そんな中で最近とある気づきがあった。数ヶ月に一、二回ほど、自分の書いたものを読み返す瞬間がある。これまでの自分を振り返ろうとするのはもちろんのこと、冒頭のようなぐずついた気持ちのときに無性にそうしてしまいたくなるのだ。
もちろん、ここの言葉たちは他者に読まれることを前提として、かつ読んだことによって何らかの示唆を得てもらえればという気持ちで綴っているのは確かだ。しかしながら、他者に何かを伝えようとするのと同時に、私は私に対して言葉を尽くしているのではないかと、ふと思ったのである。
少し前の回で、過去の私と言葉の関係について〈当たり前のように他人が喜ぶ言葉を私の言葉としてペラペラと吐き出していて、最悪だった〉と触れたことがある。その頃から考えるとだいぶ本来の健全な関係を取り戻したのだなと思う。私の中で生まれたものたちを、変に飾ることなく真っ直ぐに私の言葉にして排出できるようになったのだから。
それゆえ、自分が揺らいでしまいそうな瞬間に無性に積み重ねてきた言葉たちを摂取したくなるのは、これが私にとって最大の薬になる、というのを心の奥底で理解しているからなのだろう。
ここに書かれているのは、自分自身につけた傷、そして自分自身にかけた呪いを解いていく過程であり、そしてその過程で生じた私の形もなしていない叫びを表現している。言葉を通じて、自分の傷を抉ると同時に傷の修復を行っているとも言い換えられるだろう。烏滸がましいかもしれないが、その過程を赤裸々に綴ることで読んでいる誰かに自身と向き合うきっかけを与えられたら、背中を押すことができたら、私の言葉が薬となれば、と小さく祈ってしまうのだ。